曲論直論

政治関連を中心に、右・左問わずメディア批評をしています

「死んでも飲めない」減税 財務省の”驕り”の構造を考える

国民民主党の躍進で動揺する財務省 なぜ国民の反感を買うのか

「死んでも飲めない」財務省幹部の発言が物議

先の衆院選で、議席が4倍と躍進した国民民主党。「手取りを増やす。」をキャッチコピーとした同党は、消費税の5%減税や、所得税の減税、基礎控除額の引き上げ等の減税策を打ち出しており、これら公約が同党の躍進に寄与したとも言われている。さらに、与党が過半数割れしたことで、与党自民党は国民民主党との協力を模索しており、国民民主党は、政策ごとに与党に協力する、いわゆる”パーシャル連合”を形成するもようだ。国民民主党はまさに、次期国会でのキャスティングボードを握っている。

これに戦々恐々としているのが、財務省だ。減税策を打ち出す国民民主党を警戒して、こんなことを言っている。

「選挙公約に掲げられた「実質賃金が継続してプラスになるまで消費税を一律5%とする減税案」は「死んでも飲めない」(主税局幹部)のが本音だ。」(財務省が「玉木首相の可能性」に顔面蒼白…!「消費税5%」「年収の壁」「給食費タダ」「高校まで完全無償化」ヤバすぎる大盤振る舞いに「死んでも飲めない」と猛反発 週刊現代 11/1)

※太字は筆者注

財務省主税局は、税制の企画・立案を行う部署だ。財務省は、我が国の財政赤字の拡大を防ごうと、国のプライマリーバランス(基礎的収支)の黒字化を目指している。その立場からすれば、減税は、PB黒字化による国家財政の健全化を遠ざけるものでしかなく、極めて受け入れがたいのだろう。

しかし、財務省幹部の「死んでも飲めない」発言は、国民からは理解されないようで、SNS上ではプチ炎上的な様相を呈している。SNS上での一般の反応には、過激なものや、裏金を作れなくなる等の根拠薄弱なものもあるが、いずれも、財務省幹部の発言こそ受け入れらない、という受け止めのようだ。

財務省幹部の「死んでも飲めない」発言は、なぜ国民から理解されないのか。

財務省幹部発言が越権行為に見える理由

財務省幹部の発言が理解されない理由の一つは、国民の意思に逆らっているからだろう。国民から選ばれた国会議員が減税を主張しているのに、国民から選ばれていない官僚がそれに異を唱えるのは、ある種の越権行為に見えるのだろう。

なぜ財務省幹部の発言は、越権行為に見えるのか。

そもそも財務省は、行政機関の一つだ。三権分立を旨とする我が国憲法下において、三権の一つである行政は、主に公共政策の執行機関として定義される。公共政策を考えるのは、立法機関である国会だ。アメリ行政学の権威であるグッドナウは、「政治とは国家意思の表明であり、行政とは国家意思の執行である。」(第1話 アメリ行政学 森江綜合法務コンサルティングHP)とし、「政治は行政をコントロールする必要」を説いたという(行政学第4回レジュメ 城山英明)。

ここで行政学の通説を出したのは、学説をもって財務省幹部を糾弾しようとしたのではない。このような三権分立の通説が、日本国憲法制定から70年以上経ち、我が国国民にも浸透しているのではないか、と思うのだ。

国民主権はもとより、政治を司り、国家意思を決める国会議員に対し、ただの執行機関に過ぎない行政府の人間が、「死んでも飲めない」と、まるで国家意思の表明かのように意思表示をしてしまったのが、現憲法下の国民には、越権行為に見えたのである。

それにしても、財務省幹部はなぜ、このような不用意な発言をしたのか。

財務省の”驕り”は、我が国の”シンクタンク不足”が原因

発言自体を、財務省の立場上とか、当該幹部の”驕り”だと言えばそれまでだが、もっと構造的に考えたい。

行政が公共政策の執行機関であることは、財務省も百も承知だろう。憲法も知らない愚か者が財務省に入省できるわけがない。しかし、財務省、いや、霞が関には、もう一つの顔がある。それは、我が国最大のシンクタンクである、という顔だ。

シンクタンクとは、「政治、経済、科学技術など、幅広い分野にわたる課題や事象を対象とした調査・研究を行い、結果を発表したり解決策を提示したりする研究機関のこと」(ビジネス用語集 - 正社員専門の転職エージェントより)

なじみが薄い言葉だが、欧米やロシア等では、民間のシンクタンクが政治経済に関する調査と提言を行っており、政権を技術面から支えることも多いようだ。

しかし、我が国ではシンクタンクの影は薄い。その理由について、こんな説がある。

「日本のシンクタンクが米欧諸国に比べ、社会的な役割や影響力が小さい理由は、財界や企業主導で設立されてきたものが多く、(中略)その背景には、日本の官僚機構が政策形成、制度設計、アジェンダセッティングなどを長く独占していたこともある。」(世界のシンクタンクは爆発的成長、日本は縮小:「日本国際問題研究所」は世界13位に評価 ニッポンドットコム 2015/2/12)

※太字・下線は筆者注

我が国では、長らく官僚機構が我が国最大のシンクタンクとして機能してきた。もちろん、他にもシンクタンクはあった。民間でも○○総研等というシンクタンクはたくさんある。また、戦後直後は、日本学術会議シンクタンクとして機能したこともあったようだ。だが、それら非政府系シンクタンクは、今日の日本政治においては影響力を有していない。それは、官僚機構がシンクタンクとして機能し、世論もそれで充分としたからであろう。

民間シンクタンクの強化と官僚への報道機関の接触制限を

しかし、先に指摘した通り、行政学の権力分立論の立場でいえば、行政は政治にコントロールされるべきであり、国家意思の決定権は持つべきではない。我が国官僚機構において、政策を提言するシンクタンク機能は、なくすべきか、あるいは縮小するべきだ。

そのためには、ひとつは民間シンクタンクの強化が必要だろう。政治家は官僚を頼らず、自らシンクタンクを作って政策を調査させ、大局的な視点で行政を考えさせる必要がある。民間シンクタンクと、官僚機構が並立する状態にあってこそ、官僚の既得権保護の考えに左右されない、真に国益を考えた政策論争ができるだろう。

いまひとつは、官僚への報道機関の接触を制限することだ。報道機関が拡声器となって、霞が関の論理を拡散させるからこそ、官僚機構はシンクタンクとして機能してしまう。官僚は、せいぜい国会議員に対し、自説を主張すればいいのであって、わざわざ国民に説明して、国家意思を左右する力を持たせる必要はないのではないか。

財務省の”驕り” 最大の問題は、国民の政治責任放棄につながる点だ

官僚機構がシンクタンクとして機能することの問題の最たるものは、国民が自らの責任で政治決定をできないことだ。これは単に、官僚の専横を意味するのではない。国民が自らの意思で政治選択をしても、官僚が軌道修正して国家意思を形成してしまうと、国民は政治に対して責任を持ちえず、ずっと政治家や官僚に責任転嫁してしまう。この、責任転嫁こそ問題なのだ。

官僚が、国民から嫌われてでも国益を考えて行動する。というのは、ある種の美談にも聞こえる。しかし、それこそが、民主主義国家においては、国民が政治責任を放棄するという大惨事につながる大罪なのだ。仮に、減税が我が国を苦しめることになったとしても、それは、国民が自ら体験し、責任を取ればすむことなのだ。そうでなければ、いつまでたっても、国民は自らの主張が正しいのか、間違っているのかすら理解できない。

先の財務省幹部発言は、それはそれで、国益を考えた立派な考えなのだろう。だが、そうした抵抗こそが、国民を眠らせ続け、正しい国論を作る妨げとなり、官僚自らをも苦しめ続ける原因となっていることを、官僚たちは自覚したほうがいい。

今日の歪みポイント:官僚は自己犠牲の美談を捨てて、国民に任せよう。それでこそ、真の国益につながる。

ざっくり分析)第50回衆院選 完全比例代表制だとしたらどうなった?

混沌とする永田町 民意は反映できたのか

第50回衆院選 完全比例代表制だとしたらどうなった?

与党が過半数を失う結果となった第50回衆院選。旧安倍派を中心に巻き起こった政治とカネ問題などが与党敗北の原因と言われているが、不思議な現象が起きている。

敗北の責を負うであろう石破総理について、内閣支持率は32・1%という低評価にもかかわらず、総理は「辞任の必要はない」とする回答が65・7%という調査結果が出たのだ(石破首相「辞任必要ない」65・7% 内閣支持率は32・1%に急落 共同調査 産経新聞 10/28)。

この矛盾するように見える調査結果は何を表しているのか。産経新聞は「倒錯」という国民に失礼な物言いをしているが(石破首相、支持率急落も世論調査「辞任必要ない」多数の倒錯 就任直後、政局の混乱忌避か 産経新聞 10/31)、この結果に明確な答えを出せる人はまだいないのではないか。

そこで、この難しい問いを考えるきっかけとして、当該選挙がもし完全比例代表制だとしたらどうなったかを考えてみた。現在の衆院選小選挙区比例代表並立制を採用しており、改選数465のうち、小選挙区が289議席比例代表が176議席となっている。小選挙区比例代表並立制においては、安定した政局を作りやすい等のメリットがある一方、負けた候補への票、死票が発生しやすく、各政党の得票と実際の議席配分に大きな差が出やすい。詳しくは下記記事を参照してほしい。

kyokuron-chokuron.hatenablog.com

完全比例代表制であれば、各政党の得票数が議席配分に正確に反映しやすいため、今回の選挙結果をより得票数を反映した形で見ることができるのではないかと思う。

完全比例代表制の試算結果

さっそく総務省自治行政局選挙部のHPから速報値をDLして作ってみた結果がこちら。

今回、完全比例代表制の試算をするにあたり、以下の方法で算出した。

  1. 各政党の小選挙区比例区ごとの得票数を、各比例区(11ブロック)ごとに合算する。
  2. 1で合算した各政党の総得票数から、各比例区ごとにドント方式で政党ごとの議席数を算出する。各比例区ごとの定数は、1と同じように、小選挙区比例区を合算する(例:南関東ブロックは、比例区で定数23、小選挙区定数は千葉が14、神奈川が20、山梨が2で、比例・小選挙区合わせて59を完全比例制における南関東ブロック定数とする)。なお、ドント方式は下記を参照のこと。

    ドント式 | ねほりはほり聞いて!政治のことば | NHK政治マガジン

  3. 無所属は、現行では比例名簿に登載できないが、今回の試算では小選挙区の得票数をそのまま総得票数としてドント方式にかけた。
  4. 日本保守党は、総務省の速報値では、小選挙区において「諸派」として分類され、他派とごちゃ混ぜになっているが、この試算では、「諸派」の得票はすべて日本保守党の得票とした(実際、諸派の全国計約20万票のうち15万票は、日本保守党が小選挙区で立候補した愛知県での得票である)。

試算結果の講評等

完全比例代表制の試算では、自民党は165議席と、実際の衆院選の結果(191議席)よりもさらに議席を減らしている。やはり与党が負けたのは変わりない。しかし、立憲民主党も127議席と、実際の結果より21議席も減っている。今回の選挙で躍進した立憲も、国民から信を得たとは言い難いようだ。

一方、完全比例代表制の試算で躍進したのは、日本共産党だ。実際には8議席しか取れなかったのに対し、完全比例では28議席と、現実の国民民主党が取った議席数と同数となっている。資金力を背景に多数の候補を擁立した結果とも言えるが、思った以上に共産党の支持者は多いのかもしれない。

国民民主党日本維新の会は、完全比例ではそれぞれ37議席、47議席となった。国民民主党の躍進は実際の結果と変わらないが、維新も思ったほど退潮してはいないもようだ。

公明・れいわ・参政党の小政党も、試算では議席を伸ばしている。比例代表制は小政党に比較的優位と言われるが、その通りの結果だろう。特に、参政党は試算で10議席となっており、実際の獲得議席(3議席)の3倍以上となっている。

逆に、小政党にもかかわらず、実際より試算で議席を減らしたのが日本保守党だ。これは、日本共産党とは逆に、候補者数が少なく、関東や東海、近畿でしか出馬できなかったため、地方で全く得票できなかったのが原因だろう。候補者を多く抱えられれば、完全比例代表制の試算でも大きく躍進したかもしれない。ただ、日本保守党が試算で獲得した2議席は、河村・百田両代表が出馬したブロック(東海・近畿)であり、関東の3ブロックでは議席を獲得していないので、得票が属人的すぎる傾向がある。同党が掲げる政策の浸透が必要かもしれない。

石破総理は辞任の必要なしとした世論調査の真意はわからず…

参考までに、純然たる得票数の割合も出してみた。

(字が小さくて申し訳ない…)

こうしてみると、小選挙区比例区の得票を合算した総得票数に基づく得票割合と、完全比例代表制の試算における議席配分割合は、かなり近いことがわかる。といっても、最大3%程度の差はついてしまうようだ。それでも、現行の小選挙区比例代表並立制と比べると、実際の得票割合に近いと言える。

ここまで試算してみたが、やはりこれだけでは冒頭の世論調査の不思議な結果がなぜ起こるのかはわからない。仮に内閣支持率は32・1%の多くが、自民党投票者(32.6%)や公明党支持者(6.2%)であったとしても、「辞任の必要なし」の65・7%との差分(33.6%)はどこから来るのか?やはりどう見ても、立憲・維新・国民などの野党への投票者から流れているに違いない。冒頭に出した31日の産経記事のとおり、石破総理に罪はないとする消極的支持なのだろうか。今後の各社の調査にも注目したい。

参考:各比例区(ブロック)ごとのドント方式試算表

参考までに、試算した11の比例区(ブロック)ごとの試算表を掲出する。

北海道ブロック

東北ブロック

北関東ブロック

南関東ブロック

東京ブロック

北陸信越ブロック

東海ブロック

近畿ブロック

中国ブロック

四国ブロック

九州ブロック

 

政治とカネ問題は隠しておけ? あきれるほど国民をバカにしてる産経新聞

政治とカネに関する産経の「二枚舌」はいつ治るのか…

敗因は政治とカネの「蒸し返し」?相変わらず二枚舌の産経

27日、第50回の衆議院議員選挙が終わった。このような結果を予想していなかった人も多いのではないだろうか。自公で60議席以上減らす大敗、立憲が50議席以上の大勝、4倍の議席を獲得した国民民主。与党が敗北したものの、30年以上前の非自民8党派連立政権成立時とは状況が異なり、野党の連立は難しそうで、どの連立政権ができるのか、政局は一気に混迷を深める情勢だ。

今回の与党敗北の要因は、衆目一致するところだろう。”政治とカネ”問題である。これまで政治資金不記載議員を応援してきた、さしもの産経新聞も、

「自民の旧安倍派などの派閥パーティー収入不記載事件への有権者の怒りはくすぶっていた。」

衆院選で政治とカネの問題への有権者の憤りが改めて示された。」(いずれも <主張>与党「過半数割れ」 審判を重く受け止めよ 安定した政権の構築を求める 産経新聞 10/28)

と社説で述べ、旧安倍派を中心として起こった、政治とカネ問題で有権者の不興を買ったと認めている…と思いきや、同日の一面コラムではこんなことを書いている。

「敗因は、いくつも挙げられるが、政治とカネの問題を蒸し返して「敵」に塩を送り、旧安倍派を冷遇して「味方」の士気を著しく下げてしまったのが、最大の要因だろう。」(<産経抄>10月27日は「苦悶の日」 「悪人」になり切れなかった石破茂 産経新聞 10/28)※太字・下線は筆者注

全くをもって落胆、憤りを禁じ得ない論述だ。同日の紙面でこれである。かたや2面の社説では、政治とカネ問題が敗因と分析し、あまつさえ「審判を重く受け止めよ」( 同 <主張> 産経新聞 10/28)と言っておきながら、1面のコラムでは、政治とカネを蒸し返したのが問題だ、と言い張る。

産経はまるで、国民から受けが悪いので、政治とカネ問題はうまく隠しておけ、とでも言わんばかりである。蒸し返すも何も、政治とカネ問題は周知の事実である。それを争点化するかしないかは、国民の勝手であり、いまさら「蒸し返」すもくそもない。

産経は次の日の社説で石破首相に対し、今回の敗北の責任として退陣を迫っている(<主張>国民の審判 首相の居座りは許されぬ 直ちに辞職し新総裁選出を 産経新聞 10/29)。退陣はいいとしても、政治とカネ問題を「蒸し返し」たのが敗因であり、有権者の「審判を重く受け止め」るのであれば、旧安倍派は全員離党させるべきだろう。与党幹部はもとより、政治とカネ問題に関わった旧安倍派は当然、与党の一員として、自ら責任を取ることが必要だろう。

産経の論説はどうみても矛盾している。なにが旧安倍派の冷遇が要因、だ。なにが有権者の審判を重く受け止めよ、だ。こんな二枚舌の主張をする産経に、高邁にも政治を論ずる資格はない。あまりにも国民をバカにしすぎだろう。

政治とカネ問題を産経はどう捉えているのか

政治とカネ問題をめぐる産経の”二枚舌”については、以前も弊ブログで取り上げたことがある。

kyokuron-chokuron.hatenablog.com

上記記事でも、一方で政治とカネを問題視しながら、石破総裁による不記載議員への追加処分を問題視する姿勢を糾弾した。政治とカネを問題視し、まして処分が足りないそぶりを見せるなら、追加処分すること自体はおかしくないはずで、追加処分を批判するならば、その内容の是非になるはずだが、それについて産経は一切語らないからだ。

ここで、これまで紹介した内容と被るが、これまでに産経で記載された、不記載議員を擁護する論調の部分と、不記載議員(または政治とカネ問題)を批判する論調の部分をまとめてみたので、ご紹介したい。

こうしてみると、やはり矛盾がひどい。新聞社がいくら大人数で記事を書くからといって、ここまで矛盾するのは読者をバカにしているだろう。

政治とカネは争点の一つになると言いながら、「蒸し返し」たのが問題だと言う。

4月には、岸田総裁時代の不記載議員への処分が不十分であるかのような論調だが、わずか半年後に講演した産経論説委員の阿比留さんは、高市さんの発言を出して、石破総裁による追加処分を「バカみたい」と批判している。

裏金問題は「立ち小便レベル」ではない、と理解しながら、処分の何が問題かも示さずに、「宗教戦争」「非主流派潰し」と追加処分を批判する。一体、産経は何をしたいのか。

産経の真の目的は「旧安倍派復活」と「高市総理」への世論誘導

産経はここまで見るとまったく一致した論調を作れていないように見えるが、実は一致した目的で作られている。それが、「旧安倍派の復活」と、それに続く「高市総理」誕生への世論の誘導だ。

旧安倍派は、かつて衆参合わせて90人以上を擁した大派閥であり、安倍元総理亡き後も有力な右派派閥だった。高市さんはその中でも、安倍さん亡き後に最も総理の座に近い人物だ。高市さんのタカ派右翼的態度は、産経と相性がよく、産経も高市さんの提灯記事をよく出している。

kyokuron-chokuron.hatenablog.com

しかし、ここ数年で状況は一変した。安倍さんが凶弾に倒れると、統一教会問題、さらに政治資金不記載問題と、立て続けに安倍派議員が問題視される事態が続いた。そして、岸田総裁によって、不記載議員への処分と派閥解体を申し渡された。しまいに、自民党総裁選の第1回投票で高市さんが1位に選出されたにもかかわらず、決選投票で、安倍さんの仇敵=産経の仇敵である、石破さんに総理総裁の座が回ってきた。

産経にとっては、シンパシーのある安倍政権下で気分の良い日々だったろうに、ここ数年でどん底に落とされた気分だろう。それはわからなくもない。

しかし、それならなぜ、旧安倍派議員は悪くない、と主張しないのだろうか。裏金問題は「立ち小便レベル」だ、とまで言わずとも、裏金問題は問題視すべきじゃない、不記載問題はもう済んだことだ、裏金問題を追及する思考はおかしいぞ、と国民に正々堂々訴えればよかったではないか。

それができないのが産経である。なんと姑息なことか。自分が正しいと思うなら国民に迎合して「有権者の憤りが改めて示された」などと言わなければいいのだ。はっきりと、「旧安倍派を39人も落選させたのは大間違いだ!」と、国民に喧嘩売ってでも、声を大にしていうべきだろう。

代わりに産経は、なんでも石破総理のせいにしたいようだ。”石破憎し”の色眼鏡をかけたままでは、選挙情勢もろくに読めないようだ。今回の敗因について、「自民の岩盤支持層の離反を招き、票が日本保守党や参政党などへ流れた。」と言っている。日テレの調査では、自民支持層が上記両党に投票した割合はわずか数%程度だ(【速報・出口調査無党派層は自民より立憲に投票 日テレnews nnn 10/27)。立憲と国民に2割も流れたのとは比較にしようもない小ささだ。

せっかく石破総理退陣の好機にもかかわらず、最新の調査では石破総理の辞任は必要ないという意見が6割を超えているとの結果が出ているようだ(石破首相「辞任必要ない」65・7% 内閣支持率は32・1%に急落 共同調査 産経新聞 10/28)

産経にとっては泣きっ面に蜂というところか。だが、仕方ない。これは産経が国民と向き合わず、姑息な論評ばかりしているせいだ。産経は、正々堂々と、国民と勝負してみればよいではないか。それが産経の社是であり、まさしく「正論」なはずである。

今日の歪みポイント:こそこそせず、堂々と国民と議論しよう。

原発問題を争点化しないのは与党が悪いという朝日新聞の責任転嫁

原発問題が争点化しないのは与党の責任?

今からでも遅くない?原発を争点化しろという朝日新聞

朝日新聞が、再び面白い社説を書いている。10/22の社説でエネルギー問題に触れ、こう論じた。

東京電力福島第一原発の事故を経験した日本社会にとって、原発をめぐる政策判断は極めて重要だ。各党とも論拠や具体化の道筋を詳しく説明する必要がある。とりわけ重い責任を負うのが自民だ。」((社説)衆院選 エネルギー 原発回帰でいいのか 朝日新聞 10/22)

「重い責任」としたのは、政権を担う与党だからか。ここまではいいだろう。問題はこの後だ。21年の衆院選、22年の参院選と、自民党は少しずつ原発政策を前向きに転換してきたこと、そして23年に原子力基本法の改正があったことに触れ、こう断ずる。

「これだけの政策転換である以上、今からでも選挙で説明を尽くし、信を問うのが最低限の務めだ。その際、原発が抱える様々な難題に目を向けないようでは、責任ある態度とは言えない。」(同 朝日新聞 10/22)

今からでも選挙で説明を尽くして信を問う、というのはどういうことか。これは22日の社説なので、当然選挙の真っ最中である。まさに、信を問うている最中だ。ということは、説明を尽くしていないということか。

だが、朝日の問題視する原子力基本法は、令和5年にすでに成立している。当然、国会で審議もなされており、野党も経産委員会でしっかり質問している。これを説明と呼ばずになんと呼ぶのか。

おそらく、朝日はそんな事を自民党に求めているわけではない。「選挙で説明を尽くし、信を問う」とは、まさしく、この原発問題を選挙で争点化しろ、という意味だろう。だが、与党がそんなことをする義務があるのだろうか。

争点化は政党の義務じゃなく国民の義務

結論から先に言うと、政策転換をしたからといって、与党はことさらに原発問題を自ら取り上げる義務などどこにもないだろう。争点化したいのであれば、誰よりもまず声を上げるべきは、野党だろう。

そもそも、国政選挙なのだから、国政のあらゆる面が論じられなければならない。与党がいちいち新聞屋のわがままにつきあって、丁寧に街頭演説していたら、あらゆる国政の説明をするのに時間がかかり、日が暮れてしまうだろう。

朝日新聞の社説を見たって、社会保障(18日)、LGBT(19日)、外交・安保(20日)、財政健全化(21日)、エネルギー(22日)、そして地方創生(24日)と、様々な分野をまとめて読者に論点紹介している。論点紹介は立派なことだが、一般読者に説明する朝日だってこれだけ多岐にわたって紹介しているのだから、実際に国政を担う与党は、もっと多様な政策を日ごろから論じているはずだ。

実際、自民党マニフェストを見れば、大項目にまとめられてはいるものの、びっしりと細かい政策が書き込まれている。これほどたくさんの論点があるのだから、短い選挙期間中に各政党が訴える争点は、この中からほんの2,3に絞られて当然だ。

実はこれは野党にも言える。与党の政策の中から、ボロが出そうな弱い部分を2,3絞って攻撃することは、選挙戦術として当たり前のことだ。先ほど、野党が声を上げるべきと言ったが、それは、争点化が”本当に必要とされていれば”の話だ。争点を一義的に考えるべきは、与党でも野党でも新聞社でもない。国民だ。

”売り手”は争点の決定権も義務も持ってはいない

争点を決定づけるのは誰かと言えば、この場合、国民以外にあり得ない。これは、商売を例に挙げればわかりやすい。

売り手は、テレビCMやネット広告、商品パッケージの記載などで、その商品の良さを買い手にアピールする。それを見て、他の商品とも見比べて、買い手はどの商品を買うか(あるいは買わないか)決める。この際、買い手は、ただ売り手のPRを鵜呑みにして決めるわけではない。

好例となるのが、セブンイレブンの業績悪化だ。直近のセブンの業績は悪化しているそうだが、これにはいわゆる「パッケージ詐欺」が原因ではないかという見方をする人もいるそうだ(セブン-イレブン不振が鮮明、「パッケージ詐欺」で消費者を欺いた報いが出現? ビジネスジャーナル 10/13)。

当該記事では、SNS上のそんな声を紹介しつつ、それが同社の不振の主な原因ではないとの見方が述べられているが、国内事業が減益しているのも確かで、同社では手ごろな値段の商品開発を進めているようだ。

セブンとしては、質の高い商品である点を”争点”にして、値上げを”争点”にしないよう配慮したのだろうが、買い手は底上げ容器等を歓迎せず、値上げを争点化しようとしたのは事実だろう。いくら売り手が争点化回避しようとしても、何も報道がなくても、買い手が値上げを争点化したのだ。

選挙も同じことだ。与野党がいくら争点を提示しようと、何を争点化するかは買い手である国民が行うのだ。報道は、商売に照らせば広告的な役割を担うが、それすら争点の決定権は持たない。あれほど与野党が争点ととらえているはずの「政治とカネ」ですら、一番の争点になっていないとの結果が、NHKの調査で出ている(NHK世論調査 内閣支持率 政党支持率 毎月の最新情報 | NHK選挙WEB)。

国民ではなく与党に争点化の責任を負わせるのは責任転嫁だ

朝日は、原発問題を争点化させるのは与党の責任だという論調だったが、それは明らかな誤りだ。争点化する責任は、国民にこそある。先のNHK世論調査では、エネルギー問題は全く出てきていない。朝日が糾弾すべきは、原発問題を争点化しない国民の方であり、国会で説明済みの与党に責を負わせるのは、完全に責任転嫁だ。だが、それを言ってしまっては、逆に朝日が国民からそっぽを向かれてしまうだろう。それが嫌なので、無理やり与党に責任をなすりつけたのだ。

朝日が争点化したいと思うのは勝手である。ならば、原発問題を軽んじる国民に、朝日こそが信を問えばよいのだ。それで国民から喝采を浴びるのであれば、それでよい。朝日がそうしないのは、そうはならないことを重々承知だからだろう。国民は原発問題よりも、景気対策社会保障、政治とカネ問題等に関心がある。朝日もそれはよくわかっている。だからこそ、与党への責任転嫁は、汚いやり口だと思う。これでは東京新聞が言っていた、マイナンバー制度への”遠吠え”と同じである。

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まして、「原発活用を「国の責務」に位置づけた」(同 朝日新聞 10/22)というミスリードを誘う論じ方は論外だ。法にはこう書いてある。

「国は、エネルギーとしての原子力利用に当たつては、原子力発電を電源の選択肢の一つとして活用することによる電気の安定供給の確保、(中略)非化石エネルギー源(中略)の利用の促進及びエネルギーの供給に係る自律性の向上に資することができるよう、必要な措置を講ずる責務を有する。」(原子力基本法第二条の二第1項)

活用が国の責務だなんて一言も言っていない。原発を利用するなら、電気の安定供給や非化石エネルギーの一つとして使えるように、必要な措置を講ずる責務を負うと言っている。利用しないという手ももちろん残されている。必ず原発を使うよう決めたような書きぶりには完全に悪意しか感じない。

このような汚いやり口で言論を捻じ曲げているようでは、朝日新聞が国民から信を得るのは、とても不可能だろう。正々堂々、マスメディアとして責任ある報道を期待したい。

今日の歪みポイント:なんでも与党に責任転嫁するのはやめよう。読者にミスリードを強要する卑怯な真似はしてはならない。

政治家はウソをつくと吹聴する産経に言いたい「お前が言うな」

もう、この言葉に尽きる…

政治家はウソをつく?産経は人の事を言える立場か

産経新聞がまたもや、やってくれた。本日の産経抄で、こうおっしゃられる。

衆院選の投開票日が来週27日に迫り、選挙戦は激しさを増している。有権者としては各党の候補者の訴えに耳をすませて冷静に判断したい。政治家の公約にこそ、ウソがはびこっているからだ。」(<産経抄>世の中は今も昔もウソであふれている 産経新聞 10/22)

口汚くて申し訳ないが、よくもまあいけしゃあしゃあと言えるもんだ。産経がこれまでたくさんのミスリード、言葉の意味のはき違え、半年で180度主張が変わる二枚舌、そして提灯記事で自社を棚上げしての他社下げ…。これほどまで、人をウソつきよばわりするにふさわしくない新聞社は他にないだろう。

これまでの産経の残念な記事まとめ

「別姓を選んだら民主的・進歩的で、同姓派は守旧派呼ばわりされる場面も出てきそうである。」(自民党総裁選の失敗…なぜ「夫婦別姓」だったのか 阿比留瑠比 月刊正論オンライン 10/2)

産経の阿比留さんは、選択的夫婦別姓制度を導入したら、「同姓派は守旧派呼ばわりされる」という。事実でないうえに、同姓派を守り抜くという、保守派の矜持も感じられない残念な主張である。

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自民党総裁選での「高市現象」は、富める者はより富み、貧しき者はより貧しくなっているグローバリズムの行き過ぎを是正しようという世界的潮流を反映したものだ。」(「自民大乱」の予兆が見えた! 「悪党政治家」ではなかった石破茂 産経新聞 10/4)

自由貿易論者の高市さんを応援したいがために、保護貿易を推進するトランプらアンチグローバリストらの躍進と重ね合わせる。言葉の意味も理解していない残念な記者が書いたコラムをご紹介。

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「『裏金問題なんて立ち小便レベルのささいなこと』と言ってのける保守派のベテラン政治ジャーナリストもいるが、国民はそうは感じていなかった。」(モンテーニュとの対話 176 産経新聞 5/11)

「石破首相は世論を神に祭り上げ、神の代弁者、すなわち正義の味方として敵対勢力に『宗教戦争』を仕掛けている。」(モンテーニュとの対話 187 産経新聞 10/11)

半年もたたず、裏金問題への対応を180度変える「変節」を起こし、不記載議員への追加処分を批判する二枚舌コラムについて、弊ブログで批判した。

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極めつけは、コラムが掲載された産経自身のことは讃え、左派系新聞における「ひいき」論評は問題だと非難する、産経「ひいき」の提灯記事をご紹介。

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弊ブログを立ち上げてまだ1月と経たないのに、これほどまでツッコミどころを作る新聞社もある意味すごいと思う。こんな論評ばかりの新聞社が、政治家をウソつきよばわりする資格があるのだろうか。いたずらに国民に政治不信を焚きつけるだけでしかない。

ルールを守るのは当然だというのに、ルールを守らない議員を応援する産経

ここまで、産経が「ウソつき」よばわりする資格のないことを論じてきたが、実は一番のツッコミどころはここではない。

「その中で石破茂首相は「看板に偽りなし」を意識しているように思える。何しろ毎日テレビの画面から飛び込んでくるのは、「新しい自民党はルールを守る」との決意表明である。ただし、あまりにも当たり前過ぎると突っ込みたくなるのは、小欄だけではあるまい。」(同 産経新聞 10/22)

もう頭が痛いくらいだ。この産経抄においても、たったの10日前に、

「世間の目が厳しいからといって、(中略)処分を受けた候補者らを、さらに見せしめのために厳罰に処するやり方はどうなのか。義理も人情もあったものではない。」(<産経抄>「義理と人情とやせ我慢」を忘れた石破首相 産経新聞 10/12)

と言ったばかりではないか。半年前には、「これだけでけじめになるのか。」「これでは処分を決めても国民は納得しないだろう。」(いずれも 産経新聞 主張 4/5)と言っておきながら、「処分に翻弄される候補者に同情する」(同 産経新聞 10/12)と言って、今度は不記載議員の味方に回ったかと思えば、わずか10日で、ルールを守るのは当たり前だ、と批判している。

なぜ、当然守るべきルールすら守らない候補者らに同情するのか。ルールを守らない議員への処分が軽いと、国民からも「産経からも」批判を受けたから処分を重くしたのに、なぜ処分した石破さんを批判するのか。産経こそ「変節」もいいところだ。

産経の編集者は二重人格なのだろうか、それとも、社内で真逆の派閥に分かれていて、まとまっていないのだろうか。こんなにころころと主張が変わるようでは、読者も気の毒だ。

人に「モノを言う」前に、自らの言行を省みろ

産経は、「モノを言う新聞」というキャッチフレーズを用いている。だが、人様にモノを言う前に、自らの言行を省みなければいけないだろう。産経新聞社のHPでは、同社社長が、同紙の”ぶれない論調”を誇示していたが、前述のとおり、明らかにブレブレだ。唯一、ぶれていないのは、同紙にとって「都合のいい記事」ばかり書いていることだ。

前述の”ぶれ”も、同紙の”嫌いな”石破さんに早く退陣してもらって、同紙が”大好きな”不記載議員の多い旧安倍派出身の高市さんに、早く総理になってほしいという、その一心で書かれたものだろう。

高市さんを支援するという”一面”から見れば、確かにぶれてはいない。だが、不記載議員への処分が妥当なのか、それとももっと重い処分にすべきなのか、という面から見れば、あまりにぐちゃぐちゃな意見だ。国民を愚弄している。

産経はこれまでも、事実と異なる記事を書いて、たびたび謝罪している(産経新聞「批判に行き過ぎた表現」 「日本人救った米兵」記事で「おわびと削除」琉球新報 2018/2/8)。自分の都合のいいようにネタを探すクセがついているせいだろう。

一方で、産経社内でも、同僚記者の誤りを正す人がいる(総裁選で訴えた持論を封じた石破首相 「豹変」の理由を語れ 産経新聞 10/13)。それ自体は評価できるが、ひどく同僚記者に「忖度」して批判のトーンを落としている。これでは甘い。

産経は五大紙の一角であり、国民への影響力も大きい。正確な情報提供と、読者を混乱させない良識ある論評を心がけ、絶えず「深い反省のもと」報道してほしい。それができないのであれば、「お前が言うな」と言われる事が何度も続き、国民からの信頼は地に堕ちるだろう。

今日の歪みポイント:自分に都合のいいことばかり言ってブレブレの産経 「お前が言うな」と言われない記事づくりを心がけよう

左派新聞が首相に優しいと攻撃する産経  自分の事を棚上げするな

その発言、あなたに帰ってきてますよ?

 

石井孝明さんのコラムを掲載した産経は「好き嫌い」が無いのか?

産経新聞は10月20日、「なぜリベラル系新聞は石破首相に優しいのか 「好き嫌い」より読者の知らない知見の報道を」と題したコラムを掲載した。このコラムの筆者は石井孝明さん。元時事通信社記者で、外部筆者だ。選挙報道について、「気になるのは記事に見え隠れする政治家への「ひいき」だ。」(なぜリベラル系新聞は石破首相に優しいのか 「好き嫌い」より読者の知らない知見の報道を 産経新聞 10/20)としたうえで、こう述べている。

自民党内の左派・リベラルの立ち位置だった石破首相に、一部の新聞は優しい。」(同 産経新聞 10/20)

この後に出てくるのは、朝日新聞毎日新聞の論説紹介で、安倍首相の時とは対照的に石破「首相批判は緩やかだ」(同 産経新聞 10/20)としている。この点はうなずける。筆者も以前、朝日新聞の社説を取り上げ、朝日の論じ方が3年前の岸田政権誕生時とは違うことを指摘した。

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左派メディアが石破首相に優しいという指摘だけであれば、弊ブログでも取り上げなかったことだろう。至極まっとうな見方だと思うからだ。だが、問題は、当該コラムが産経に掲載されており、左派メディアだけを問題視している点だ。コラムを掲載した産経自身は、「ひいき」や「好き嫌い」をしていないのだろうか。

「ひいき」も「好き嫌い」丸出しの産経

はっきり言うが、産経は「ひいき」も「好き嫌い」も丸出しだ。産経はかねてより、タカ派の保守である安倍さんを応援しており、さらにその後継者と目され、安倍さんに近い政策を掲げる高市さんを応援している。

「憲政史上最長の通算8年8カ月にわたって首相を務めた安倍氏は保守の立場から多くの治績をあげた。」(<主張>安倍氏暗殺2年 自民は保守の矜持失うな 総裁選が再生の最後の機会だ 産経新聞 7/7)

安倍さんを惜しみ、最大限の賛辞を送っている社説だ。岸田さん退陣表明後の総裁選においては、

「誰が最もふさわしいかを考え、投票してもらいたい。目先の人気投票は禁物である。」(<主張>自民総裁選告示 日本を守る政策競い合え 「夫婦別姓」には賛成できない 産経新聞 9/13)

と主張した。「人気投票」ではいけない、と産経が語ったのは、当時、石破さんが世論調査で高評価を得ており、産経お気に入りの高市さんが後塵を拝していることをけん制したものだ、と弊ブログで指摘している。

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産経の高市さん「ひいき」は止まらない。高市さんは自由貿易を公約に掲げているのに、その総裁選での”躍進”を、反自由貿易論者のトランプさんやルペンさんの躍進と同一視してしまう、愚かなコラムを産経は掲載している。

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極めつけは、政治資金問題だ。半年前には、

「『裏金問題なんて立ち小便レベルのささいなこと』と言ってのける保守派のベテラン政治ジャーナリストもいるが、国民はそうは感じていなかった。」(「モンテーニュとの対話 176」産経新聞 5/11)

とか、

「岸田派の元会計責任者は立件されている。(中略)これだけでけじめになるのか。」(産経新聞 主張 4/5)

と、さらなる処分を求めるような論調を展開しながら、

「石破茂首相による党内の非主流派潰しの様相を呈しているとの指摘も出ている。」(産経新聞 主張 10/11)

「石破首相は世論を神に祭り上げ、神の代弁者、すなわち正義の味方として敵対勢力に『宗教戦争』を仕掛けている。」(「モンテーニュとの対話 187」産経新聞 10/11)

と言って、石破総裁による、政治資金不記載問題に関わる議員への、比例名簿重複禁止などの追加処分を批判した。半年で意見が180度変わった産経の二枚舌を、弊ブログでも批判した。

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ここまで見ればわかる通り、産経は「ひいき」も「好き嫌い」もてんこ盛りの、偏向メディアだ。

産経を「ひいき」する外部筆者に、新聞を論評する資格はない

そんな偏向メディアで、左派新聞の偏向を論じた石井さんは、

「もちろん新聞が党派性や記者の好き嫌いを出してもいい。(中略)それよりも新聞のプロらしい筆力と取材力で、一般人の知らない見方や専門家の意見を分かりやすくまとめて伝える記事の方に、筆者はひかれる。」(同 産経新聞 10/20)

という。これも全くその通りだと思う。そんな石井さんは産経新聞をどう評するか。

「対象に距離を置く記事は状況を客観的に把握できる。産経新聞は「石破首相『岸田路線』前面に 参院代表質問 経済、外交・安保踏襲、個性見えずジレンマも」(9日)で、(中略)岸田文雄前首相にすり寄り支援を求めざるを得ないからだと説明した。石破首相を取り巻く厳しい状況が納得できた。」(同 産経新聞 10/20)

これのどこが、「プロらし」くて、「一般人の知らない見方や専門家の意見をわかりやすくまとめ」ているのか。石破首相の党内基盤がぜい弱であることは、他紙も野党も論じている。産経の記事では、岸田さんによる防衛力強化や選択的夫婦別姓の路線を踏襲したというように書いているが、いずれもむしろ、安倍さんの路線を踏襲したものだ。何せ岸田さんですら、安倍さんの路線を踏襲したと言われているのだ(「安倍路線」は死去後も加速している…さらに「改憲で安倍さん超えたい」岸田首相 銃撃事件から1年 東京新聞 2023/7/8)。

第一、石破さんは岸田さんだけでなく、菅義偉さんの支援も受けている。このことに産経の記事は全く触れていない。菅さんもいるこの状況で「岸田文雄前首相にすり寄り支援を求めざるを得ない」のはなぜなのか。産経は論拠を述べていない。

まして、「対象に距離を置く記事」どころか、旧安倍派や高市さんにすり寄る記事ばかり書いている産経の提灯記事について、コラムを書いた石井さんは全く触れていない。「好き嫌い」の激しい産経を「ひいき」して、このようなコラムを書いたとすれば、石井さんほど、メディア批評にふさわしくない記者は他にはいないだろう。彼には、朝日も産経も論評する資格はない。

メディアは中立になるべきでは? 右派も左派も自分の事を棚上げするな

石井さんは、「新聞が党派性や記者の好き嫌いを出してもいい」(同 産経新聞 10/20)といいつつ、「政治家への『ひいき』」は問題視する。だが、「好き嫌い」を出しつつ「ひいき」をしない論調などできるのだろうか。NHKですら、安倍政権批判を押し出した大越アナが批判された。「好き嫌い」と「ひいき」は紙一重、またはコインの表裏のようなものだろう。

週刊誌ならともかく、新聞やテレビなどのマスメディアは、中立であるべきだ。「好き嫌い」は「ひいき」となり、やがて戦中の朝日新聞のように、政権礼賛を唱えて事実報道をおろそかにし、国を破滅に導くだろう。政権批判も同様だ。左派も事実をつまびらかに報道しないことがある。

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右派も左派も、「好き嫌い」を論ずるのは週刊誌程度にとどめて、マスメディアは事実報道に徹するべきだ。両派とも、自分の事を棚上げして論敵を批判すべきではない。そのような偏った姿勢こそが、我が国での正常な議論を妨げるのだ。

 

今日の歪みポイント:「好き嫌い」は偏向報道のもと。いいところもわるいところも、素直に認めよう。

ふるさと納税に反対の練馬区長 都市も地方も、国の掌の上で踊らされていることに気づけ

ふるさと納税で明暗分かれる都市部と地方部 本当に得をしたのは誰?

ふるさと納税廃止すべしと息巻く練馬区長のポジショントーク

やや古い記事かつ有料の記事で、ご覧いただいている方には申し訳ないが、9月27日の日経新聞に掲載された、練馬区長・前川燿男さんの記事が、ポジショントーク満載でひどいのでご紹介したい。

ふるさと納税 廃止すべき」と銘打たれた当該記事は、日経が出しているまちづくり系の隔週発行誌である「日経グローカル」からの紹介記事だ。「日経グローカル」は、いつもしっかりまとまった内容でよい雑誌なのだが、ニッチかつ予約購読しかしていないので、一般の方の目に触れないのが残念。

話を戻すとして、この記事でインタビューに答えた前川燿男練馬区長は、ふるさと納税制度による練馬区の減収が、23年度で50億円弱だったことを示したうえで、次のように述べた。

「制度自体が憲法違反だと思う。地方自治の本旨に反するふざけた制度だ」(ふるさと納税 廃止すべき 日経新聞 9/27)

地方自治の本旨」とは、憲法92条に書かれているもので、長い引用をすると、

憲法の「地方自治の本旨」は、住民自治と団体自治の二つの要素からなり、住民自治とは、地方自治が住民の意思に基づいて行われるという民主主義的要素であり、団体自治とは、地方自治が国から独立した団体にゆだねられ、団体自らの意思と責任の下でなされるという自由主義的・地方分権的要素であると言われている。」(第3部_[地方自治]1.地方自治の本旨、国と地方の役割 参議院憲法調査会HP)

というもの。前川区長はその直後に、「自分たちの負担でやるというのが地方自治の原則」(同 日経新聞 9/27)と言っているので、おそらく、税を他の自治体に持っていかれることが非民主主義的で、団体(練馬区)の意思とも合っていないので、「地方自治の本旨」に反すると言っているのだろう。やや苦しい憲法解釈だが、ここはまだいい。問題はこの後だ。

自分がよければそれでいい 支離滅裂な主張の練馬区

「少なくとも出身県への寄付に限ったり、控除の上限額を見直したりすべきだ。『偏在是正』に正面から取り組むのであれば別に制度をつくる必要がある。」(同 日経新聞 9/27)

ご高説はごもっともだが、地方の財源不足は、今から50年ほど前の昭和51年から存在しており、税源の偏在性は、今の国・地方が形作られた戦後直後から存在する。半世紀も解決していない問題を、どう国に訴え、どう解決するのか。

また、東京は企業が集積しており税収が多い、と地方から指摘されている点について聞かれた前川区長は、

ふるさと納税という形をとるのは間違いだ。現実に日本は人口が減ってきて地方自治は成り立たなくなってきている。だが、それを東京一極集中のせいだと言われると困る。」(同 日経新聞 9/27)

困っているのは、「地方自治は成り立たなくなってきている」地方の側だ。まるで、飼い犬が人に怪我をさせたからといって、飼い主が悪いと言われても困る、と言っているかのようだ。区長の態度はとても他人事で、自分がよければそれでいいという風にも聞こえる。

さらに、自分が地方の首長だったらどうするか、記者に問われると、

「制度の力を借りず、自分たちの力でなんとかできるように頑張るしかない。」

ふるさと納税のような方法で自分たちの状況を改善しようとするのはおかしいと思う。」(いずれも 同 日経新聞 9/27)

前川区長は、ふるさと納税が親の仇なのだろうか。「地方自治は成り立たなくなってきている」のに、「自分たちの力でなんとかできるように頑張るしかない」なんて、何をどう頑張れと言っているのか。支離滅裂であり、旧日本軍の悪しき敢闘精神のようだ。前川区長のような方が、東京にいて、戦地の有能な指揮官に補給も送らず指示ばかりしていたから、日本は負けたのだろう。

加熱する「都市」対「地方」の構図

ここまで、前川区長を批判してきたが、実は、彼だけではない。近年、「都市」対「地方」の構図はどんどん浮き彫りになってきている。

「まだやるの、という感じ。東京とそれ以外で福祉の格差がどんどん開く」(都の保育料無償化「まだやるの」 千葉知事、格差を懸念 Yahoo!ニュース 7/9)

東京都の小池知事が新たに打ち出した子育て施策に、おとなり千葉県の熊谷知事が嚙みついている。

「『東京一極集中』の是非をめぐり、東京都と地方の間で溝が深まっている。1~2日に福井市で開催した2024年の全国知事会議で、東京都の小池百合子知事は人口問題に関する緊急宣言案に反発し、他の知事と応酬を繰り広げた。」(「東京一極集中」深まる溝 全国知事会、都と地方論争 日経新聞 8/7)

同じく小池知事だが、全国知事会でも「東京一極集中」の言葉に反発し、他の知事から総スカンを食らった。人口減少の一因として「東京一極集中」があると言われることに抵抗があるようだ。

先述の前川区長も、小池知事も、その発言内容はいずれも東京を擁護するもので、有権者へのアピールにはなるのだろう。一方で、地方側もそれは同じなので、譲れない。こうして「都市」対「地方」の構図がどんどん広がっていく。これでいいのだろうか。

本当に対峙すべきは国 自治体は「都市」も「地方」も団結して国に当たるべきだ

「都市」対「地方」の構図は、どちらが勝っても意味はないだろう。「都市」も「地方」も、我が国にはかかせない存在だ。むしろ、この構図をただ一人、喜んでいるのは、ほかでもない、国だ。

ふるさと納税は、自治体対自治体の戦国時代の様相を呈している。互いに争ってくれれば、国への責任追及の視線をそらすことができる。しかし、本来、税の偏在や地方の財源不足を解消するのは、国の責任だ。人口減少対策も、東京一極集中の是正も、同じく国が責任をもって進めるべきことだ。

名誉回復のため、前川区長の発言を引くと、

「正々堂々と議論をして、国庫負担金と補助金の制度を変えることを検討すべきだ」(同 日経新聞 9/27)

と主張している。区長の言う通り、国と地方自治体でしっかりと議論をして、健全な地方財政制度をつくるべきなのだ。

だが、ここまでわかっているのに、前川区長も小池知事も、そして地方の知事たちも、目先の税収や選挙対策に目がくらんでか、みなポジショントークばかりして喧嘩している。それを国は横目で傍観するのみだ。「都市」も「地方」も国の掌の上で踊らされている。なぜそれに気づかないのか。両者とも冷静になるべきだ。

勘違いしてはならないのは、自治体の首長は、自治体の事だけ考えればいいわけではない。地方自治という、「国家」の重責を担っているのだ。ポジショントークばかりしていないで、全国の自治体は、一致団結して、国の責任を追及すべきだ。